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etat d'exception
訳者解題
『現代思想』vol. 32, no 9, 青土社, 2004年8月, pp. 151-152.
以下の解題です. ジョルジョ・アガンベン「例外状態」高桑訳, 『現代思想』vol. 32, no 9, 青土社, 2004年8月, pp. 142-150.
この「例外状態」は, 以下を日本語訳したものである. Giorgio Agamben, Létat dexception, trans. Martin Rueff, Le monde (Paris: December 12, 2002), pp. 1, 16. 『ル・モンド』紙が本文末尾に添えている注記によると, これはジョルジョ・アガンベンがパリ第7大学で2002年12月10日におこなった同名の講演からの抜粋だという.
アガンベンは現代イタリアの哲学者で, 関心領域は多岐にわたるが, 近年の仕事は政治と関連する領域のものが多い. その領域ではすでに, 『人権の彼方に』(高桑訳, 以文社, 2000), 『アウシュヴィッツの残りのもの』(上村忠男・廣石正和訳, 月曜社, 2001), 『ホモ・サケル』(高桑訳, 以文社, 2003) などが日本語で参照できる. 『開かれ』(岡田温司・多賀健太郎訳, 平凡社, 2004) もつい先ごろ刊行された.
ここで扱われている「例外状態」については, その後, 「ホモ・サケル」シリーズ (第1巻が「主権権力と剥き出しの生」という副題をもつ『ホモ・サケル』, 第3巻が『アウシュヴィッツの残りのもの』にあたる) の第2巻第1部としてまさに『例外状態』(2003) という題の本が刊行されている. 今回ご紹介することになった講演は, その後, この本の各所に実質的に統合されることになる. したがって, この本の日本語訳が刊行されていない今, その骨子を簡潔に伝えるものとしても, この同名の講演抜粋をお読みいただくことができると思う.
さて, ここで「例外状態」と訳した état dexception だが, これに相当するものが場所や時代によってさまざまなニュアンスをもつさまざまな語によって表現されてきていることは言うまでもない. 本文中にも, 「緊急状態」「非常事態」「法停止 [ユスティティウム]」「戒厳状態」「合法的な内戦」といった, 「例外状態」のさまざまな化身が姿を現している.
日本語を理解する私たちとしては, 次のような具体的な周知の事例に思いを致せば, アガンベンの議論が想像以上に私たちの直面している問題に見合ったものであり, 例外状態のまた別の化身がそこに見いだされるということは容易に理解できると思う. すなわち, 「有事」と通称される「武力攻撃事態」「非常事態」などをめぐって, 日本国政府が中心となって各種の閣法 (官僚策定) を提出し, アガンベンの言うところの「政府にのっとった」法整備が進められてきたということ. あるいは, 同政府が中心となって, 既存の法律の場あたり的な拡大解釈が繰り返されてきたということ (イラクの地は「戦争状態」にあるのか, ないのか?). そしてまた最近では, 多国籍軍に参加する組織は司令官 (事実上アメリカ合衆国政府の決定にしたがって活動すると想定される) によって「統一された指揮」のもとで活動するのが原則だとすでに明言されている――したがって定義上, 自衛隊は独立的に活動するという立場を保てない――にもかかわらず, この「統一された指揮」という文言が恣意的に解釈できるものだという見解が政府内で構築され, 自衛隊の多国籍軍参加がなしくずし的に推進されているということ. これらの現象のそれぞれにおいて小泉内閣, 外務省, そしてとりわけ内閣法制局が重要な役割を果たしているということも, すでに誰もが知っている (のみならず, 最悪なことに, 私たちはこの状況を知ることにすでに飽きはじめている).
このようなことはすべて, アガンベンが「法の非執行」と呼んでいることそのものではないだろうか? キューバにあるグァンタナモ米軍基地――この土地はもともと, 名曲「グァンタナメラ」で歌われていたところだが――に収容されている「テロリスト」たちに対しておこなわれていることが, じつはここでも, 別の形でではあれすでにおこなわれているという事実には, ひょっとすると驚かされるかもしれない.
しかし, アガンベンの議論が現今の日本国政府をめぐる状況とこのように符合するということはじつのところ不思議なことではないし, 偶然に属することではなおさらない. アガンベンの議論は, 地球規模で漸進的に展開されてきている「例外状態の通常化」「議会から政府への統治の重心の移動」といった不穏な流れを検討したものであり, 日本国政府も, 皮肉にもその意味で「国際的」水準に到達しているというにすぎない.
そのような国際性 (今日, 「グローバリズム」と雑駁に呼ばれているものによって前提とされているところのもの) からどのように離脱するか, 時事問題という姿をとって手を替え品を替え目を眩ませ過去を忘れさせにやってくる統治のスペクタクルにどのように抵抗するか. 「法の非執行」が展開されるにつれて私たちの内に徐々に醸成されるのはシニシズムである. この日本語訳がそのようなシニシズムを打破する道を模索するためにわずかなりと役立つのであれば, 原著者の (そして翻訳者の) 望みはまずは達せられたと言えるだろう.
なお, この機会に以下の2件の文献についてもここで細かく検討してもよかったが, 今回は存在を示唆するにとどめる.
Magnus Fiskesjö, The Thanksgiving Turkey Pardon, the Death of Teddy Bear, and the Sovereign Exception of Guantánamo (Chicago: Prickly Paradigm Press, 2003). これは, 毎年感謝祭の日にアメリカ合衆国大統領が1羽の七面鳥に恩赦を与えるという儀礼 (現在も続いている!) や, シオドア・ロウズヴェルト (アメリカ合衆国第26代大統領) が仔熊を撃たずに赦したという真偽の疑わしい逸話 (「テディ・ベア」の起源) と, グァンタナモの「テロリスト」たちの処遇とを重ね, それらについて「主権的例外化」を軸としつつ論じた小さな本である. ストックホルム極東古代博物館の館長が書いたこの短い論考は主要な着想を『ホモ・サケル』から得ており, しかも今回ご紹介した「例外状態」にも通じる記述が散見される.
Judith Butler, Indefinite Detention, Precarious Life (London: Verso, 2004), pp. 50-100. こちらは (その最初のヴァージョンはアガンベンが今回の「例外状態」についての講演をおこなうよりも前, 2002年4月1日に発表されたようだが), アガンベンの議論をふまえつつ, 現在のアメリカ合衆国政府の「統治性」がはらむ問題を具体例に即して細かく検討している. そこで中心的に扱われているのはやはり, グァンタナモの「テロリスト」たちだ.
(ここに再録するにあたり, 句読点その他のタイポグラフィに変更を加えました.)