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『人権の彼方に』翻訳者あとがき
「翻訳者あとがき」
ジョルジョ・アガンベン『人権の彼方に』高桑和巳訳, 以文社, 2000年5月, pp. 149-152.


 ジョルジョ・アガンベン (Giorgio Agamben, 1942- ). 現在はヴェローナ大学教授. 現在までの彼の仕事は, 本書末尾に付した著作一覧の示すとおりである.

 彼は, すでに日本語訳のある『スタンツェ』(1977) をはじめとして, 主としてヴァルター・ベンヤミンの思考に寄り添いながら哲学・美学・詩学などを横断的に問いなおす仕事を展開してきたが, 1990年代に入ると, そうした仕事を出発点として, 現代政治をより直接的に問いの対象にするようになった. 『到来する共同性』(1990) が, その一見した転回の皮切りとなるマニフェストであり, 『ホモ・サケル』(1995) が, その理論的展開となった. 本書『人権の彼方に――政治哲学ノート』(原題『目的のない手段――政治についての覚え書き』1996) は, 『ホモ・サケル』とほぼ同時に執筆された (ちなみに, 本書のフランス語版は, イタリア語版に先だって1995年に刊行されている). 『ホモ・サケル』が, 現代政治にふさわしい哲学的範疇を理論的に構想する試みであるのに対し, 本書はその試みの過程でなされた素描と見なすことができる (本書収録の論文は, そのほとんどが雑誌や新聞に発表されたものである. 本書の成立の事情については, やはり本書末尾の一覧を参照のこと). したがって, ここに翻訳した論文集は, 『ホモ・サケル』の理解を助ける副読本としても読むことができるし, この時代, この世界に生きるわれわれにとっての政治をより具体的に検討するための論文集成としてそのまま読むこともできる.

 いずれにせよこの翻訳は, アガンベンによる政治の再検討のもつ射程を現実の例に則して理解するのに格好である, 各社から順次刊行されている翻訳の脇に備えてお使いいただければ幸いである.

 この論文集を編むにあたってのアガンベン自身のねらいは, 彼自身の書いた「序」に簡潔に読まれるとおりだが, われわれ日本語使用者は, 世界化した政治的状況がここで扱われている諸問題によって縁取られていること, 「日本国」やその前身である「大日本帝国」に発するさまざまの問題がその布置においてはじめて十全に理解され批判可能となることに気づくだろう. 歴史的規定の個別性を考慮しながらも「日本の特殊性」に関する言説から身を引き離す可能性, たとえば, 一見したところまちまちに思えもする「731部隊」「従軍慰安婦」「薬害エイズ」「脳死」といった問題を「生政治」という同一の, 惑星規模の視点から捉えなおす可能性について, 読者は考えることができるだろう.

 また, これは『ホモ・サケル』で全面的に展開されることだが, ハナ・アーレントとミシェル・フーコーの批判的継承の試みの一つとしての政治的思考の例を, ここに垣間見ることができる, 全体主義と収容所を思考しながら生政治的視点をもたなかったアーレントと, 生政治を問いながらその絶対的形象として収容所を思考することのなかったフーコーの交差する地点に位置することを欲するアガンベンの思考が, 本書では簡潔に辿られている.

 「冷たい戦争」が終わり, 大きなイデオロギーの対立が姿を消したとみえる現在, 政治を思考の対象とすることは多大な困難をともなう. この困難に身を置きながら, 世界に現実主義的なまなざしを向け, にもかかわらず現状を肯定するにとどまらずに政治を可能性へと導く思考が求められている. 困難のなかでこの試みを続行する者たちとして, ジャン‐リュック・ナンシー, ジャック・デリダ, エティエンヌ・バリバール, アラン・バディウ, ジャック・ランシエール, アントニオ・ネグリ, パオロ・ヴィルノらの名が想起されるが, ここに, 本書の作者ジョルジョ・アガンベンの名が書きこまれることは疑いを容れない. 現実主義の名のもとに現状の追認をおこなってすませる疑似思考を決然と拒否する政治の可能性を探究するにあたって, この試みは一つの卓越した模範となるだろう.

 翻訳者は, 何よりもこの本が, そのような現実の思考に伴走するものとして使われることを望んでいる. 少なくない訳注を付したのも, 読者がこの本から出発して, さまざまな状況へ, さまざまな思考へとさらに進んでいく助けになればと考えたからにほかならない. 一見した煩雑さについてはご容赦いただきたいが, 本書をとにかく使える道具にしたいというこの趣旨をご理解いただければ幸いである.

 なお, 題について若干を書いておく. 当初は原題『目的のない手段』を保存することを考えていたが, 編集者からの提案を容れ, より直接的に問題の所在を喚起するために, この論文集全体の主要なモティーフの一つ――人権が政治理念として働かなくなった世界の批判――を明示している収録論文の題を総題として採用することにした. これから各所で言及されるかもしれない『目的のない手段』が, この日本語訳『人権の彼方に』と同一のものであることを, 念のためにここに注記しておく.



 最後に一言だけ付言しておく. この翻訳を公にするにあたっては多くの人の大小さまざまな協力を得たが, この翻訳の仕事をそれでも一人でおこなったと言いきることを結局ためらわせるのは, とりわけ, 西谷修さんの多大な助力を得たことが否定できないからだ. 西谷さんは編集者の勝股光政さんをご紹介くださったうえ, 翻訳原稿の全体に対して多くの忠告をくださった, また解題もいただいた (ただし, 翻訳についての最終的な責任は当然ながらすべて高桑が負っているし, アガンベンの思考に対する西谷さんの立場と高桑のそれとが完全に同一であるとはかぎらない). また, 勝股さんの熱意と絶対的な寛容さがなければこの本はこのような形では存在できなかったことはもちろんである.

 J’aurais dû tenir à remercier d’abord l’auteur de ce livre, Monsieur Giorgio Agamben lui-même, qui a bien voulu répondre à toutes mes questions souvent banales et stupides.

 2000年4月
高桑和巳 



(ここに再録するにあたり, 句読点その他のタイポグラフィに変更を加えました. また, この転記が『人権の彼方に』の増刷 (2003年10月) にあたって若干改稿したものをもとにしているということも付記します.)